2021/03/08

レモンを余すところなく味わう方法

 レモンは好きだけど、思うように使えていないことが多い。

ドレッシングとして絞ったり、輪切りにしてお魚のホイル焼きに乗せたりする程度で、まだ工夫すれば使えそうなのに捨ててる感じがして、もったいない。

国産ではないレモンは防腐剤の残留が気になって皮は使いにくいけど広島産のレモンが手に入ったときには、なんとかして余すところなく味わいたいと思う。そこで検索したりして知りえたレモンをカラカラになるまで絞り切って味わい切る方法を模索した。

いちばん最初

1. レモンの皮でレモンゼストを作る

レモンの皮の黄色い部分だけをおろし金ですりおろす。そのままできあがったパスタにかけたり肉のソテーにかけたりして使う。

2. レモンの皮(レモンゼスト)をオリーブオイルに浸ける(レモンオイル)

レモンゼストをオイルでインフューズドしレモンオイルにする。基材として使ったオリーブオイルは最初から黄金色していたので、レモンの皮を入れたことでどれだけ黄色くなったかは不明。レモンオイルの作り方をYoutube等で探してみると、オイルを火にかけて作る方法、オイルを湯煎して作る方法、常温のオイルに数日浸しときどきゆする方法などがあった。私はオイルを火にかけて作る方法でやってみた。ドレッシングとして、パスタ作るとき、お肉やお魚のレモンソテーを作るとき、パンを焼くときなど、フレーバードレモンオイルとして使えそう。



3. レモン汁を絞り製氷皿で凍らせる

1.2.をやって、皮を剥いだ状態のレモンを、まな板の上でコロコロする。ジュースが出やすくなるそうだ、だけど腕が疲れたのでちょっとやってやめた。半分に切り、十字に切り込みを入れ、レモン絞り器で絞った。種を除き、製氷皿で凍らせた。色が綺麗だ。

または

3'. レモンの塩漬けを作る(プリザーブドレモン)

いわゆるレモン塩を作る。瓶にレモン、塩を入れ、麺棒などでぎゅーぎゅー押して、冷蔵庫で保存する。この方法はいろいろなところで紹介されている。そのままドレッシングとしてサラダにかけて食べたが他に使い道が思いつかない。スープとかかな、応用を見つけたい。

4. 香りづけとして

さつまいもを煮たり、他の柑橘系やりんごのジャムを作るときに鍋にいっしょに入れる。もう味が出ないかな。

4'. 置いとく(フレグランスとして)

もうだいぶ使い果てたレモンさんを適当な場所に置いておく。部屋中いい香りがしてすがすがしい。

こんな感じで、レモンを限りなく使えるといいと思う。

2021/01/29

バルト三国、ポーランド、ギリシャ、ドイツ生活90日

旅に出たいけど出れない思いを、「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」というヒロシの番組を見て発散させている。

コロナはもう始まってたけど、2020年の夏旅に出ていた頃のことを書く。

フィンランドはヘルシンキまでは書いたけどその先も何か国かの都市を回った。EUにノービザで滞在できる90日間ほぼフルに使ってヨーロッパで逃亡生活を送っていた。


フィンランドから船で渡ったのはエストニアのタリン。ヘルシンキから来るとだいぶ物価が安く感じられ、素朴な街並みがとても気に入った。Airbnbの部屋を1週間借りて普通の人の家で過ごしたのがよかった。バスにもよく乗った。



タリン駅の横にある市場。おしゃれで綺麗だし、二階には古着屋と骨董品店もあって、地元の人も食器とかなんかいいものないかなーって探してた。


日本のバスは行先やらバス番号やらほんと分かりにくい。ここではシンプルで機能的。こういうのが好き。


用はないけど倉庫内の古着屋に入ってみたりした。

バスでバルト三国の次の国、ラトビアへ行く。
リガ旧市街のカフェ。


リガの旧市街は、タリンの旧市街より規模が大きくて、ザ・ヨーロッパの雰囲気だった。雨が降って寒かったからあまり見てない。注意して歩かないと転びそうなごつごつの石畳と観光地価格でちょっぴり割高なオープンテラスのカフェと、教会と、ってヨーロッパの旧市街でどこも同じだな、って思ってくる。

レストランに入る勇気がなくて徘徊しちゃうことがよくある。おかずを指差して選べる駅の中の店でスープと魚のフライみたいの。調子に乗って二回目には€11もかかって、高くついた。


トラムの旧型の車両が好きだった。
座席が青くベタ塗りされて窓が大きくて景色がよく見える。冬は死ぬほど寒そう。


古着屋で€1.5のシャツを買ったのが思い出。


リガ中心部から電車に乗って、海外のリゾート地ユールマラに来た。もう少し季節が1ヶ月くらい前ならいいシーズンだったかもしれない。


湖の中に駅がある感じ。


経営していたのはロシア人だったと思う。ラトビアのリガにはロシア人が多いみたいで、ロシア語話者ネットワークがあるみたい(ウズベキスタン人もロシア語をしゃべるので移民してきている)。
ほとんど人との交流がなく、心身に異常をきたした。彼が旅に合流するとかしないとかで鬱。空港でラトビアに行くなら隔離あると言われて結局来ない。


雨で固まりやすくなった砂でアートするおじさん。写真撮っていいか聞いた。

リガのアパートメントからの景色。細長く、ベッドと机のある部屋が気に入った。



公園に出現したアート。次の日雨が降った。


二度と歩かないであろう道を通る。(団地の中)




スーパーでロシアンガールにお酒を買ってくれない?「ロシア人はウォッカよ」と言われ€12渡されたのが小さな思い出。(年齢制限で買えないのだろう)


犬に優しい国民性。周辺諸国はみんなそうだ。


池袋で歩きタバコをする奴はムカつくのに、この辺りじゃ至近距離で吸われても何も感じない。写真はリガからリトアニアのヴィリニュスへの高速バス旅の途中、たばこ休憩する運転手さんや乗客ら。


バルト三国と兄弟のように言われても、ひとつひとつの国はぜんぜん雰囲気が違ってた。タリンで食べてたピタパン(5枚くらい入ってて€1くらいの袋状のパン)が探しても売ってない。

ヴィリニュスの中にある不思議な地域、ウジュピス共和国の辺り。
錆びた鉄の橋を彩るマリーゴールド。


旧市街の路地。


「見てるぞ」の眼。


好きじゃない人からもらったブーケ(想像)。



宿の人は英語を話すが、キオスクのおばちゃんなどは英語を話さない。SUICAみたいのを買おうとして、少し怪訝だった。正直、コロナが始まりつつあるバルト三国にはぜんぜん観光客がいない。
寒くなってきたからいやになって、夜行バスで8時間かけて次の国ポーランドはワルシャワに行くのもいやになって、飛行機で南国に飛んだ。


アドリア海のドゥブロブニクのようなところ、と言ったら失礼ではないか。ギリシャのコルフ島(キルケラ島)。ひとりでいるのがもったいない。


要塞の岩陰で泳いでいる人がいた。秘密のビーチを見つけ、彼に見せたいと思った(彼は結局酒を飲んでいて時間がなくなった)。


対岸にあるヴェネツィアのような雰囲気のコルフ島旧市街。
ヴィリニュスからコルフ島へはライアンエアーが出ていて私は格安だったのだが彼のいるドイツからは高くついてしまって、申し訳なかった。彼と合流した。
「名前の札を持っていて!笑」という彼のリクエストに応え、ノートに大きくMr○○と書き、空港でスタンバった。
私たちは入国前にオンライン申請と唾液の抗体検査(ランダム)があった。

トイレの便器にトイレットペーパーを流せないギリシャは「EUに加盟しているアジア」だった。無理してないでこっちの仲間に入れよと言いたい。
コルフ島で美味しかったものは白ワインとピタギロス。

彼と別れ、ひとりバスでテッサロニキに来た。ギリシャの文字が読めずバスに乗り遅れそうになる。


片付けが苦手な友達の家の雰囲気があるテッサロニキの街。とにかくものが多くて散らかりやすいんです。
信号が青になってもちょっと待ってないと轢かれます。

少しずつドイツに近づいていく気になり、ポーランドはワルシャワへ。
ワルシャワという冷戦の響き、一度来てみたかった。


ポーランド語でこんにちは、ありがとうはジェインドブリ、ジャンクイェン。通貨はズロチ。
クレジットカードだけで生活できるか試そうとして現金を両替しなかったが早くも2日目でクレカがはじかれる。日曜休みの法律があるみたいで、日曜日は店が閉まっている。
両替所が至る所にあると、外国人がいるんだな、と思って安心しますね。



ポーランド人はススキ使いが上手い。


夜なんだからこのくらい暗いのが普通だなと思う。街灯も夏の間に生い茂った街路樹の葉に遮られ届きません。


スーパーで見かけた、にんじんやねぎのセットが気になり、それでスープを作ってみた。ポーランド伝統のスープ、ロスウを作るセットらしかった。セロリアック(セロリ根)が気に入って、セロリアックの酢漬けも買って食べてみるほど。


自炊しようと思ってキッチンのあるシェアアパートメントに滞在しているから、チェックイン時に基本的に誰にも会いません。
なんか、しゃべる人がいないなあって思いながら過ごしてた。いても次の日にはその人はどこかへ行ってしまう感じ。


朝ごはんはドイツ式にカルテスエセン(Kaltes Essen/冷たい食事)。ミニストアで買ったパンに、ハムや野菜を添えて簡単に食べていた。パンがとても美味しい。


電車に乗って西へ。ワルシャワとベルリンのちょうど間らへんの都市、ポズナンに電車で来た。





兵士の墓。

秋が深まってきた。ワルシャワのRESERVEDで買ったコートを着る。


ポズナンで最後に泊ったアパートメントのシェアキッチン。かわいくて使いやすかった。
冷蔵庫が日本製で珍しかった。


酒に強いポーランド人のおじさんがかなり酔っぱらってたけどどんだけ飲んだんだ。

ドイツ、ベルリンで彼と合流することに。ポーランドとドイツ国境でJapan ist gut.と言われ顔パス入国。ドイツ入国の際、覚えた単語はBundespolizei。連邦警察。
風邪っぴき。

アル中と喧嘩した思い出のチャーリーチェックポイント。


「風邪ひいてるから外でお茶とかむりなんだけど!」と言うともえはエゴイスティック、と言われておまえもな!と返す。
難しい人、と言われて、それもおまえもな!
そのあと仲直りして、Apotheke(薬局)で喉の薬買ってもらう。


飲んで飲んで飲んで寝るしかしないので、私ひとりで出かけます、と電車に飛び乗った私。
アル中に対して、私が何かできることはひとつ寝ているときは起こさないこと。
(起きたら飲むので少しでも飲む量飲む時間を減らしてほしい抵抗から)

滞在中ほぼ毎日(彼は一日2回以上)行ったアイリッシュパブ。
彼がベイリーズをショットグラスで私の分まで頼むので、やめてくれ、と思う。
隣のテーブルの婦人を見て、ベイリーズをオンザロックで頼む技を覚えた私。
店員さんに彼が"Bitte, Bitte.”と言われた。(Bitte/くださいをつけてオーダーしてよの意)


私は、彼の実家にいるのがちょっと苦痛なんです。みんなドイツ語でわーわーしゃべるから。私は勉強するときもあったけどしないときもあった。

落ち葉は落ちたまま、誰も掃かないのです。


最後の日に二人で動物園に行った。それが思いのほか楽しくて。


グリューワインを飲んだりポップコーンを食べたり。グリューワインのカップは返すと€2返ってきた。
彼は私がドイツを発った日を最後に酒を飲んでいない。車の免許も没収された。


Auf Wiedersehen.さようなら、ドイツ。
次来るときには私はこの国の人になれるのだろうか。

アジアンドキュメンタリーズ

アジアンドキュメンタリーズで観た映画(ドキュメンタリー)の話。

遠い愛を求めて タイの花嫁たち」という、デンマークの漁村に嫁いで暮らすタイ人女性たちのドキュメンタリーが観てみたくて、登録してそれから色々観ている。

ヘビーな内容が多いので心身に来るからそんなに毎日見れない。「タイの花嫁たち」はよかったし、他にも特に「プラスチック・チャイナ」「ザ・ピンクルーム」「世界で一番ゴッホを描いた男」「女王イメルダ」は観てよかった。知らないことがいっぱいある。

今まで観たの

「女王イメルダ -政界の果てしない闇‐」

「マザーランド 世界一いそがしい産科病院」

「母との別れ ー残酷で最大の愛-」

「アフリカの少年ブッダ」

「神の子たち」

「遠い愛を求めて タイの花嫁たち」

「秘境をぶっ飛ばせ!」

「世界で一番ゴッホを描いた男」

「プラスチック・チャイナ」

「ザ・ピンクルーム」

「私の名は、塩」

「街角の盗電師」

2020/08/21

写真23枚で送る、フィンランドへの逃亡@ヘルシンキ

家にいられなくて逃げてきたよ。


ドーハ空港のひじかけのついたいす。どう体をねじっても寝かせないいす。ソーシャルディスタンスの札も寝るのをじゃまをする。


中東からヨーロッパ方面へ飛び立つと地面が茶色く、草も生えない。
日本は四季があるだけありがたいと思え、と自分に対して思った。
一年中常夏のタイで、5月がいちばん暑いんでしょ、と聞いたら、セイムセイム、と笑ったタイ人を思い出した。


フィンランドはヘルシンキ、ヴァンター国際航空の入国審査官は、「(滞在期間が)長いわね、何するの」「今この状況でポーランドまで行くわけ?いい策とは思えないけど」と、もうなんでくるねん、という顔をしていた。いろいろ質問した後、仕方ないわ、行かせましょう、と言ってけたたましい音でスタンプが押された。
カタール航空機内では乗客はマスク、フェイスシールド、客室乗務員は白い防護服にめがね、手袋、マスク。
ヘルシンキの街中ではマスク着用率1割くらい、電車内は少し上がる印象。


ホステルは無人チェックイン。メールで入口の暗証番号2つ教えてくれ、デスクで封筒に入った鍵を受け取って入室した。寂しい気もするけど気楽。
熱い熱いシャワーを浴びた。


ふとした瞬間にマリメッコのカーテン。


Moin.(モイン)おはよう。
日の出前に外に出た。(日の出=5時半くらい)


白樺の木を模したベンチ。


ヘルシンキ大学で見覚えのあるロゴ。こんなところで北大(北海道大学)に遭う。


マクドナルドのある通りは少し下水くさい。早朝散歩しているのはカモメと私くらいで、ごみ収集車の人がごみを吹き飛ばしていた。

街は至るところにベンチや座るところがあり、自転車の人や犬にも優しい。車の運転も荒くない。
フィンランドの人々は、自然の中で遊ぶ方法をいろいろ知っているみたいだ。
何もしていない(ように見える)人がいっぱいいる。何もしていない人がたむろしているのは初めて一人旅したマレーシアのクアラルンプールで、この人たちは一体何者だ、と驚いたけど、ヘルシンキの何もしてない(ように見える)人たちは、自分の余暇を過ごしています、の感じがした。


フィンランドの夏は日の入りが21時頃で一日が長い。
東京は雨が降って日が暮れても35℃くらいあってむしゃくしゃして人を刺しそうな感じにベタベタした。
こちらは暑すぎず、少し涼しく、カラっとしてきもちがいい天気。寒く厳しく暗い冬を耐えているのだからこれくらいの特権があってもいい。


こんなに大きなドッグランが至る所に。


市民農園みたいな。

フィンランドを好きがる(日本語変…)日本人をちょっと冷めた目で見ていたけど、なんてすてきなところなんでしょう、って思った。


建物はモダン。


岩をくり抜いた教会の上で見たものは…


寝そべって肌を焼く人。
街の真ん中なのに自分の視界に人が誰もいなくて何も音がしなかった。


教会や建物の中にいくつか入ってみたけどこのウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)は今まで見たどの寺院ともちがっていた。ロシア正教会なんて初めて見たから何やこれ、って思った。中は荘厳で、たたずんでいると落ち着くよ。岩の上にある。岩(崖に近い)をよじのぼって入ろうとしたら(むり)横っちょに階段がありました…。


世界中で最北端にある地下鉄、だそうです。ヘルシンキのエスカレーターは…右側通行のよう。
駅の前には物乞いの人がいる。
駆け込み乗車の人もいる。
(トラムでは)傘を突っ込んで駆け込む人もいた。笑


ひとつわからなかったのは、駅名や停留所の表記。カンピ駅でKamppi Kampenと書いてあるのが、スウェーデン語が併記されているのかな、と。
降りよう、と思ってもどっちなんだい?と思って。
京成幕張、幕張、幕張本郷、とかそういう違いだったら大変なので。(例え…)

歩いていると、私は透明人間なんじゃないだろうかと思った。
誰にもかまわれない感じが、東京の街を歩いているときのような冷たさが(いい意味で)ヘルシンキも都会なので同じかな、と。ホステルは外国人が泊っているので挨拶やちょこっと話したりはしたけど外に出ると私は透明人間。


港には屋外マーケットがあり、アコーディオンで心地よい音楽を奏でるおじさんが。
カモメが。
それを見ていたら、以前観たことのある「過去のない男」というフィンランド映画を思い出した。

過去のない男
過去のない男 [レンタル落ち]

この映画の雰囲気そのままだった。(もし寒い時期だったらもっとそのまま!)
≪「過去のない男」レビューを読む


長い首をまげて食事をしていることが多い鳥。誰なんでしょう。

その日は、地下鉄、バス、トラム、フェリーなどの公共交通が24時間乗り放題のチケットを買った(€8)のであちこち出かけることができました。

24時間券のいいところは、11時くらいに買ったら次の日の11時までも使えるので朝から移動する日も使えていい。(翌朝エストニア行きのフェリー乗り場へのトラムも使いました)


スオメンリンナの要塞という島にも行きました。
この画像は明るさ調節なしです。私は苔が好きです。これは藻?
蛍光色に輝き岩に張り付く藻を見たら、トーベ・ヤンソンだ、と思った。
トーべ・ヤンソン=ムーミンの作家。


フィンランドの人は背が高く、ぬぼーっとした印象があって、フィンランド語はまろやかな響きがある。(一見しただけで勝手に言ってます)
フィンランドの人を描いたら絶対ムーミンぽくなる、と思った。


ムーミン谷の岩と藻の仲間たち。

さて、長くなったからもうやめよう。
お読みいただきありがとうございます。